【歴史的背景】対人恐怖について【治せる?】

精神

日本人は対人恐怖?

私の見たところではありますが、周囲の人は「他人からどう見られているか」に関して悩んでいる方が多いような気がします。

そして、それは私も同じです。

私も、他人に自分はどう見られているのかが気になり不安になることがあります。
そしてそういった不安が過剰になった人のことを「対人恐怖症」というのでしょう。

ところで、岸田秀曰く、日本人は昔から対人恐怖的傾向が強かったようです。
たとえば、日本人は話しているときは相手の眼をあまり見ないそうです。
これは私にも当てはまります。
そして、相手の眼を見ると人によっては「ガンをつけた」という人もいるように、日本では相手の眼を見ることは失礼なことのようであります。
私もそのようなインネンを付けられた経験があります。

また、昔の日本では身分の高い人に拝謁するときはまず遠く離れたところで平伏し、許しを得てはじめて近寄り、顔をあげる。
近寄って顔をあげても、御簾(ぎょれん)に遮られて顔を合わせないで済むようになっていたりするそうである。

また、日本人は昔から視線恐怖的であり、そして恥をかくことを非常に恐れる傾向があるようである。
このような証拠物件からも、日本人には対人恐怖的な傾向があるみたいです。

では、なぜ日本人はそのように昔から対人恐怖的であったのだろうか。
その理由は、おそらくは自分の(心理的、および物理的)安全が他社によって支えられているからであると考えられます。

では、対人恐怖的傾向が低く見える欧米人には怖いものは何もないのか?
そして対人恐怖は治るのか?
このあたりのことについて解説し、考察していきたいと思います。

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対人恐怖の歴史的背景

欧米人は対神恐怖

私が見た、といっても、そんなに沢山の欧米人を見たわけでもないし、色んなところから聞いた知識の総合でしかないのですが、欧米人には対人恐怖的傾向があまり無いように見えます。
そしてそれがもし、本当であるとするのならば、欧米人には怖いものはそれほど無いのだろうか?

そんなことはなく、岸田曰く、自我はつくりものの幻想であって、本質的に不安定であり、その不安定な自我を安定させるために何らかの支えが必要とするところは、欧米人も変わりはないようです。

その支えとは何か?

それは神である。

一神教の神は復讐欲、嫉妬心が強く、残酷な罰をくだす恐ろしい神である。
そういった一神教の宗教が欧米に根付いていたため、欧米人は神を恐れているのである。
岸田は、そういった傾向を、対人恐怖にならって「対神恐怖」と呼んでいる。

いわば欧米人とは、神をボスにした暴力団のようなものなのです。
暴力団には、ボスの意向が絶対であり、それ以外の者の意向は大して重要ではありません。
なので欧米人は他者(一般市民)からどう思われたところで、大して気にしないようなのです。

これが欧米人に対人恐怖的傾向が少ない理由というわけです。

日本の近代化が原因

日本人は昔から対人恐怖的傾向があったということは先に述べた通りでしたが、その傾向が顕著に表れ始めたのは、日本が近代化したあたりからみたいです。
これには、欧米文化の輸入が関係しているかと思われます。

人は怖くないが神が怖い対神恐怖の欧米人と、対人恐怖の日本人がぶつかると、どうしても対人恐怖の日本人が押されてしまいます。
そして、日本は「他人にどう思われているか」という対人恐怖的傾向が強いためなのか、急激に日本を欧米化しようとした。
けれども日本人がどうしても理解できない部分がありました。

それが欧米人の「対神恐怖的傾向」なのでした。

理解できないというより、見えなかったのだと思います。
そして日本人がそういった欧米人の対神恐怖的傾向が見えなかったからこそ、欧米人は怖いもの知らずな強い人間に映ったのでしょう。

そしてその結果、日本人も欧米人のような「強い」自我をもとうとした。
この「強い」自我を「近代的自我」と呼び、日本人も「近代的自我」を確立しなければならないと考えた。
自分自身の信念(主体性)をもち、理性的に行動する人間になろうとした。

このことにより、日本人においては正常な行動形式であった対人恐怖が「病的な」対人恐怖症となった。

恐怖とは、それを否定し、抑圧しようとすれば、消え去るどころかますますひどい恐怖となる。
だからこそ、近代化以降日本人は病的な対人恐怖症になったのであった。

ちなみに、欧米人から見て日本人が「強く」見える点は対神恐怖的ではないところである。
日本人は対神恐怖でないからこそ、冠婚葬祭などで、そのときの都合に応じて様々な宗教を使い分けることができるそうである。

対人恐怖は治るのか?

ここまで日本人の対人恐怖的傾向の歴史的背景を説明しましたが、果たして対人恐怖は治るのでしょうか?
岸田の答えはこうである。

まず、日本人には欧米人のような対神恐怖はない
怖くないものを怖いと思うことはできない。
そして欧米人は対神恐怖だからこそ、対人恐怖にならずに済んでいるのである。

だからこそ、日本人は欧米人のようになることはできない。

そして日本人の言う「近代的自我」の確立とは、神にも、他人に対しても、自分以外のいかなる存在に対しても「不合理な」恐怖をもたない自主独立の主体的個人になることである。
けれども日本人は先述の理由から欧米人にすらなれないのに、現実に存在しないそのような架空の人物になることはなおさら不可能であるということである。

したがって日本人の対人恐怖は治らないという結論が導き出される。

愛され上手になろう

それでは他人が怖い人はどうすればいいのだろうか。
他人が怖いという悩みは日本人である以上解決できないのだろうかという問題が生じる。

それに対して、私の考えを述べてみる。

まず、上記の理由により日本人の対人恐怖は治らないのならば、自分には対人恐怖的傾向があるということを認めることから始めればいいのではないだろうか。
認めることにより、治らないにしても、日本人の対人恐怖には歴史的背景があるのだから、これは何もおかしなことではないと思うことができ、少しは気分が楽になるのではないだろうか。

また、日本人は対人恐怖であり、「他者」という「支え」が必要であることを認めたのならば、「愛され上手」を目指せばいいのではないかと思います。
けれども悲しいことに、愛情飢餓感が満たされていない人が、他人に甘えると、大抵の他人はその「甘え」を満たすことに対する精神的負担を感じ、離れて行ってしまうであろうと思われます。
甘えさせてくれる良きカウンセラーが見つかればそれでよいのですが、見つかるかどうかは分かりません。

なので、愛情飢餓感はまずは自分で満たすのがいいかと思います。
愛情飢餓感の満たし方は簡単にですが、この記事に紹介しています。

また、愛され上手になるためには、自分の弱点を隠さないようにするのがいいのではないでしょうか。
人は自分が「この弱点」をもっているために自分を嫌うことになることはない。
きっと、愛情飢餓感が満たされ、気持ちに余裕が出来るようになると、そのように感じることができるようになるのではないでしょうか。

私もまだ、その域にまでは達していないと思いますので、これからも心理的な成長を目指していきたいと思います。

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アイキャッチ画像出典:アイキャッチャー

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妖月

妖月と申します。こちらのブログでは、主に実体験を元にした、メンタル系の情報発信していきたいと考えております。
趣味で絵を描いています。主にオリジナルメインで描いています。

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