資本主義社会の残酷さとこれからの生き方

お金

はじめに

以前の記事に資本主義社会の成り立ちと、そしてそれに対して息苦しさを感じるということを書いた。
そして、嘆いても仕方がないため、今後どう生きてゆくか考えていくという旨も書いた。
その気持ちは変わらないのであるが、今回はなぜ、資本主義社会に対して息苦しさを感じるかについてまとめていきたいと思う。

資本主義社会の残酷さ

構造を鳥瞰した場合

まず一つ目が、競争しなければ生き残れないというシビアな構造であるからである。
前回の記事で資本主義社会は他国を植民地化しなければ立ち行かない構造であることを紹介したが、その構造によって、多くの国の人々が、好むと好まざるとにかかわらず選手にならざるを得ないという点が、残酷であると思う。
スポーツのように、競争をしたい人だけが競争をしていればいいというわけではないという点が残酷であると思う。

そして、もし生活に必要なだけの金銭を得ることができなかったのならば、世界と、そして他の人々と繋がることができなくなる。

それは岸田秀の言っていた「資本主義的人間の特徴」である。

世界と、そして他の人々と繋がることができないとはどういったことかについて、前回の記事ではたとえば「お金がなければ交際することもできなくなる」と書いたが、それ以外にも、資本主義社会では、様々な事業が様々なサービスを提供しており、そしてそのサービスを受ける対価となるものが金銭である。
したがって金銭がなければサービスを受けることもできなくなるということが、金銭がなければ世界と繋がることができないということを意味すると思われる。

一応日本にはセーフティネットがあるため、金銭を失っても国から援助してもらえるケースもあると思われるが、もしも運悪くその援助を受けられなかった場合は、ホームレスになってしまう可能性も十分に考えられる。
ホームレスや、刑務所を宿代わりにする者の姿は、まさに世界との接点を失った者の姿ということができるのではないだろうか。
そして私もいつそういった身分になるかどうか分からないからこそ、資本主義社会の息苦しさや残酷さを身に染みて感じているわけである。

そのため資本主義社会の中で生き残るためには、何とか生きてゆけるだけの富を稼がなければならない。
しかし、どうにも資本主義社会が長く続くと、富が一極集中化する傾向があるらしい。
そしてその結果、お金のない者同士が残った少ない富の奪い合いをするという点に関しても、残酷さを感じてしまう。

プレイヤーの視点

ここまでは、資本主義社会に生じている現象を鳥瞰してみたときに感じる息苦しさを挙げてみた。
ここからは、その社会のプレイヤーになったときに感じる息苦しさを挙げてみたいと思う。

資本主義社会のプレイヤーになったとき、私が息苦しさというか、苦痛を感じた点が岸田秀の言う通り「資本主義社会の労働とは、奴隷労働のようなものである」という点である。
つまり一定の時間、一定の場所に縛られ、他人に決められた自分ではよく意味が分からない一定の仕事をしなければならないという点である。

これは、たとえ仕事の意味が分かっていたとしても苦痛に感じることに変わりはないであろうと思う。
とにかく、「一定の時間、一定の場所に縛られる」ことが苦痛なのである。
その理由は、私の場合は敏感な感受性をもっているため、ささいなことでもストレスが溜まり、ストレスを蓄積しやすい性格にあるのかもしれない。
そしてストレスが限界まで蓄積すると、頭の中を整理するためなのか、過睡眠状態になったり、風邪を引いてしまったりすることがたまにあるようである。
そういったことがあるため、規則正しい生活をなかなか送れずにいる。 その結果、毎日一定の時間に一定の場所に居るという生活は、なかなか私にはルーティン化されないようである。

また、もし仮に私がそういった生活をルーティン化することが可能であったとしても、息苦しさを感じずにはいられないであろう。
なぜならば、(これは自分の仕事が「やりたくないことである」という前提の話であるが)その一種の労働という「苦役」は、年金が貰える歳になるまでは終わらないからである。
そしてその年金が貰える歳も、次から次へと引き上げていき、いつ貰えるか分からない状態になっているため、下手すると死ぬまで「苦役」を全うしなければならないからである。

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感想(2件)

労働という苦役

橘玲は言っている。

 このようにして日本人は、働くことは苦役であり、大過なく勤め上げれば定年後に“悠々自適”という極楽が待っている、というきわめて特殊な人生観を持つようになりました。最初は希望に燃えていても、40代で先が見えてしまえば、あとはひたすら会社という牢獄で耐えるほかないのです。
 しかしこれは、大学卒業から定年まで、会社員人生が40年と区切られているからこそ、かろうじて成立する人生設計です。80歳まで働く世の中になれば、60年間、人生の4分の3が「苦役」になってしまいます。ほとんどのひとは、こんな人生に耐えることはできないでしょう。

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しかし、もし会社員人生が40年と区切られていたとしても、私はその人生設計に耐えることができないような気がする。
なぜならば、自由になれる頃にはもう、気力も体力も減退してしまっている歳だからである。
気力と体力のある時に、その気力と体力、そして人生の貴重な時間をやりたくない仕事に取られるという人生は、私にとっては耐えられそうな人生であるとはいえないであろう。
年金が貰えず、80歳まで働くことが当たり前となるのであれば、尚更であろう。

また、学生の頃は一年のうちにいくらか長期的な休暇を貰えたため、それを希望に辛抱することもまだ出来たが、社会人は学生ほどの休暇は貰えず、年金生活しか希望に出来るものがないとするならば、それは私にとっては苦役に耐える動機としてはあまりにも弱い気がする。

では、どう生きるか

「好き」を仕事にするしかない

では、どうすればよいか。
それは先に「これは自分の仕事が「やりたくないことである」という前提の話であるが」と書いた通り、その逆に好きなことを仕事にすることが唯一の解決策であると思われる。
再び橘玲である。

 そう考えれば、超高齢化社会の人生設計は「自分の好きな仕事をする」ことしかありません。
「なにを当たり前のことを」と思われるでしょうが、これ以外に60年という長い職業人生を乗り切る戦略はありません。「楽しく長く働ける世の中にしよう」というきれいごとではなく、私たちは、「好き」を仕事にする以外に生き延びる術がない、そんな「残酷な世界」に連れ去られてしまったのです。

同著

「好き」を仕事にするというと、日本ではそれはあまり良いこととされていない風潮があるような気がする。これはあくまでも私の感覚ですが。
しかし、年金が貰えず、80近くまで働かなければならない社会が来るとなると、仕事を自分の好きなことにしなければ、自分の心を納得させることが出来ないのではないだろうか。
自分でも納得の出来ないことを80近くまですることは不可能なのではないかと考えられる。

また、橘玲の同著に、年金問題を解決するための方法は80歳まで働ける仕事をもつことであるというようなことが書かれてある。
その文章を最初に読んだとき、私の中には「労働=苦役」というイメージがあったため、80歳まで苦役を続けなければならないのかと暗澹たる気持ちになったが、仕事が好きなことであれば、80まででも続けられるはずなので、やっと納得した次第である。

精神がもたないからこそ

しかし、すべての人がやりたい事・好きなことを仕事にできるわけではないであろう。
それでも好きなことを仕事にしなければ、とてもじゃないが精神がもたないであろうと思われる。

だからこそ、死に物狂いで「好き」を仕事にするしかない。
今の世の中はそういった構造の中にあるからこそ残酷であると感じる。

私も、好きなこと、あるいは今はそんなに好きでなくても「これなら80まで出来る」という仕事を探して今後の生き方を模索していきたいと思う。

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妖月と申します。こちらのブログでは、主に実体験を元にした、メンタル系の情報発信していきたいと考えております。
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