天皇制が再び重要視されるようになった過程

精神

ペリー・ショック以前の天皇制

2019年は元号が平成から令和になった年であります。
そして、日本は現在世界で唯一元号を使用している国であります。
古くからの伝統を今なお使用しているということは、素晴らしいことであると私は思います。
しかし、天皇制はペリー・ショック以前はあまり重んじられていなかったようであります。
そして先ほど私は「素晴らしいことである」と述べましたが、何となくそう思う理由は、もしかするとペリー・ショックがあったという歴史的背景にあるのかもしれません。

今回はあまり重んじられていなかった天皇制が、ペリー・ショック以降再び重んじられるようになった過程について説明していきたいと思います。
そしてこれから説明する文章は、岸田秀の『ものぐさ精神分析』(中公文庫、1982年)を元に説明する文章となります。

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過程について

きっかけはペリー・ショックである

まず、岸田秀の著作を元に、日本人はペリー・ショック以降精神分裂病的になったという事実は以前の記事に記した通りである。

ペリー・ショックによって惹き起こされた外的自己と内的自己への日本国民の分裂は、まず、開国論と尊王攘夷論との対立となって現われた。
尊王攘夷とは、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である。

結果としては、日本は無抵抗で開国をすることとなった。
しかし、日本(幕府)と同じく中国(清)も、欧米諸国から不平等条約を押し付けられているが、清の場合は一旦軍事的に抵抗した末の敗北により、南京条約、天津条約を結んでいるのに対し、幕府は一切戦うことなく不平等条約を結んでいったのである。

なぜ、清は抵抗し、幕府は抵抗しなかったかの理由は定かではない。
日本は軍事的に明らかに劣勢であったし、清の先例を見て無抵抗に不平等条約を結んだのかもしれない。

兎にも角にも日本は無抵抗で開国することとなった。
しかしそれは、不本意ながらの開国であるため、日本人にとっては屈辱的な出来事であった。
そのため、「開国をした」ということは事実ではあるが、それは本心では開国をしたくは無いのだが、日本にそれに抵抗する力は無いため、建前(外的自己)としての開国であった。
そして本音(内的自己)は尊王攘夷であった。

本音は尊王攘夷であるにもかかわらず、建前として開国をしていたため、日本人はペリー・ショック以降、精神分裂病的になったのである。

現実感覚を失う内的自己

和魂洋才という言葉が示す通り、日本人は心は日本人ではあるが、建前として開国して以降外面上日本は欧米化をしているのである。
しかしそのような、内的自己と外的自己が分離した状態というのは不健康な状態である。
内的自己と外的自己が統合された状態こそ健全な状態であるといえるであろう。

そして、外的自己から分離された内的自己は、現実と触れ合っていないため、当然のことながら現実感覚を喪失していく。
その結果現実から切り離され、現実感覚を喪失した内的自己は退行を起こし、より小児的・誇大妄想的になっていく。

また、ペリー・ショックにより開国せざるを得なくなった日本人は、アイデンティティが揺らぐこととなった。
その揺らいだアイデンティティを再確認するために再びスポットライトが当たったのが天皇制であった。
それまでの天皇の存在というのは、ほぼ名目だけの存在であったようである。
しかし、アイデンティティを再確認するために天皇制が再び注目され、そしてまた、内的自己は現実から切り離されており、より誇大妄想的になっているからこそ、天皇制が強く注目されるようになったようである。
これはいわば、日本人の心が幼児期へと退行したようなものである。

当時、ほとんど名目だけの存在に過ぎなかった天皇が権威を取り戻し、尊王思想が復活したのは、個人で言えば、幼児期への退行である。幕府の屈従策によって危くされた集団としての日本のアイデンティティを、言わば日本民族の原点に帰ることによって建て直そうとしたのである。天皇を中心に据え、小児的、妄想的となったこのような内的自己にとっては、現実の適応なんかは問題ではないから、当然、攘夷へと走る。尊王と攘夷とは、感情的にも論理的にも必然的に結びつく。

岸田秀『ものぐさ精神分析』、中公文庫、1982年、41頁

そしてこれが、日本人が再び天皇制を重要視するに至った過程である。

精神分裂はまだ続いている

そしてその抑圧されていた内的自己が爆発するという形で現れたのが太平洋戦争である。
これはいわば、これまでの内的自己と外的自己が逆転を起こしたようなものである。
そして終戦と同時に内的自己と外的自己の位置関係が元に戻り、現在も精神分裂病的な状態は続いているようである。

なぜ、外的自己と内的自己の位置関係が元に戻ったか。
その理由は戦時中に抑圧されていた外的自己が爆発を起こし、外的に表現されることによって、戦時中外的に表現されていた内的自己が再び抑圧されることとなったからである。
だからこそ、日本は未だに精神分裂病的な状態が続いているのである。

そして戦後の経済成長は、武力以外での経済成長の表現方法であるようである。
その証拠物件として、日本人の経済成長への努力は、戦時中の日本軍の努力を引き継いだものであると思わせる記述が多く残っているようである。
また、尊王攘夷思想も、戦後一つの底流として流れ続けているようであり、それが山口二矢の浅沼委員長暗殺や、三島由紀夫の割腹自殺という形で時々現れているようである。

ペリー・ショックは悲劇的だと私は思う

日本は鎖国していた国であり、ペリー・ショックにより開国を迫られたために精神分裂病的になったという悲劇的な事実は、以前の記事でも今回の記事でも述べた通りである。
しかしたとえペリー・ショックがなくとも、いずれは開国せざるをえない日は必ずやってくるのではないだろうかと考えられる。

そしてその日が悲劇的であると思う理由は、日本は島国であり、有史以来一度も他国からの侵略や支配を受けたことのない、甘やかされた子供のような状態が長く続いていたからである。
そういった状態から突如として開国せざるをえない状況に置かれると、それまでの環境との乖離に苦しまなければならないからこそ、悲劇的であると私は思う。

ただ、もしもアメリカから押し付けられた不平等条約を無抵抗のままに受け入れるのではなく、中国のように一度抵抗した末に飲まされていた場合はどうなっていたであろうか。
天皇制は今ほど重要視されていただろうか。
日本独自の元号は続いていただろうか。
もしかすると今とは違う歴史が展開されていたかもしれない。
それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないが。

最後に

天皇制という古くからの伝統が、今もなお続いていることは素晴らしいことであると私は思います。
しかし、その素晴らしいと思う理由は私がアイデンティティ・クライシスに陥った日本人の一人であるからなのかもしれない。

今回は精神分裂病的になったからこそ、日本人としてのアイデンティティを確立するための手段として、天皇制が再び重要視され始めたという事情があるということも、令和になった今だからこそ、見直しておくべきではないだろうかと思い、こういった事情を紹介させて頂きました。

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