佐藤宏明『躁鬱病 私の記録』レビュー【神田宏大牧師】

精神

今回は佐藤宏明さんの、『躁鬱病 私の記録』(柘植書房、1988年)のレビューをしてみたいと思います。

この本は、1988年に出版された本ということもあり、大分昔の本になります。
この本の内容はというと、タイトルの通り、佐藤宏明さんの躁うつ病の記録となります。

日本の精神医学の遅れ

今はインターネットの発達や、躁うつ病の実態が大分分かってきただろうと思われるため、こうした患者さん側の実態を出すということは、あまり珍しいことではなくなってきたでしょう。

しかし、この本が出版された時代にはインターネットもなく、そして、発達障害に対しても言えることでしょうが、心の病に対する理解というのは理解されるのに時間を要するため、こうした記録を出して心の病の実態を伝えるというのは当時は画期的なことだったのだと思われます。

また、吉濱ツトムさんも、『隠れアスペルガーという才能』(ベスト新書、2016年)の中で、日本の精神医学の遅れを指摘しています。
たとえばPTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念がアメリカで広まったのは、60年代に深刻化したベトナム戦争のときであります。

しかし、日本でPTSDという言葉が使われ始めたのは、1995年の阪神淡路大震災のときであったそうです。
日本のカウンセリングの草分けとされる精神科医・河合隼雄さんも、PTSDという言葉を聞いたのは阪神淡路大震災後であるそうです。

また、心の病というのは目に見えないものであるために、どうしても「甘え」であるとか、「怠け」であるとか捉えられがちであるというのも、精神医学の遅れに拍車をかけるものなのかもしれないと個人的には思います。

そして日本の精神医学がそのような状況下にあったため、この本の著者である佐藤さんも、大変な苦労をされていただろうと思われます。

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感想(1件)

内容と感想

内容

さて、この本の内容なのですが、実はこの本は少し前に一度だけ読んだだけなので、実は結構内容を忘れてしまっているところもあります。
そしてまた、一度だけしか読んでいない理由としましては、私の方にも今、精神的な余裕がなかったり、内容がなかなか壮絶に感じたりするなどをして、辛くて何度も読めなかったところなどもあります。

内容としましては、佐藤さんは、部落の村の住民の人柄に惹かれてその村へと住むこととなります。
そして、その村の人と共に、部落差別をなくすための活動であったり、左翼活動などに参加します。

これは、この本の解説を書かれている野崎キリスト教会の故・神田宏大(かんだ・ひろお)牧師も解説の中で指摘されていることですが、佐藤さんは対決型人間であります。
部落問題や、左翼活動のみならず、中央政権の東北支配問題精神病患者に対する差別問題などにも果敢に対決を挑んでいる様子が、本書には記されています。

そして神田牧師はカウンセラーの資格をもっている牧師さんであり、佐藤さんのカウンセリングを担当していました。

そしてその後、次第に自分や子供が差別されるのではないかという恐怖感を抱き始め、佐藤さんは村を出るか出ないかで葛藤しています。
しかし、子供たちは自分はこの村の一員であるから、村を出るのは嫌だと言い張ります。
そしてそれが佐藤さんの葛藤にさらに拍車をかけることとなります。

神田宏大牧師の言葉

佐藤さん自身は、そうした葛藤の中で揺れ動きながら、うつ病の治療のために、妻と子供を残して実家のある仙台に帰省したり、関西に帰ってきたりなどを繰り返しています。
そしてこの著書の中にも、妻や子供に何もしてあげられない責め苦などがつづられています。
私も発達障害人であり、その対処法を知らなかったときは、何もできない自分をよく責めていましたので、その気持ちはよく分かります。

また、そうした責め苦や、自身の病の辛さから仙台で投薬による自殺未遂も図っています。
それに対して神田牧師が、少しきつい言葉ではありますが、

「佐藤さん、あなたは何か間違っていませんか? あなたは今まで弱い者を助けるための活動をしてきました。けれども自分が弱い者になった今、自分は役に立たない、人に迷惑をかける者、だから死んだほうがいいと言っているならば、あなたは間違っています。
 それはあなたの前に鬱病で苦しんでいる人や、寝たきりで苦しんでいる病人に、『あなたは生きている価値がないのだ』と言っているのと同じことですよ。あなたが自殺しようとするならば、あなた自身が最大の差別者であることを知ってください」

というようなことを言っているところが解説に書かれています。
正直なところ、この本で一番印象に残り、そして心を打たれた箇所は、神田牧師の解説の箇所であります。

その他にも、職に就いたけれどもなかなか続かずに辞めてしまいがちなことや、
閉鎖病棟に入院したときの状況や、東北にいたときの妻との手紙のやり取り、
妻に何度も手紙を出そうとしたけれども出せなかった体験、
子供から東北に送ってもらった手紙に勇気づけられたという体験、
そしてそれを読んで、自分は何もしてあげられなかったけれども子供は立派に強く育ったことに感動した体験などが書かれています。

感想

これらの佐藤さんの一連の体験を読んで思ったことは、おそらくは佐藤さんは発達障害人なのではないかなということでした。

そう思わされる根拠としましては、うつが長期化していることや、正義感の強い対決型の人間であることや、自分の思っていることをはっきりと言ってしまい、人間関係のこじれを起こしてしまうところ、そして肉体労働である新聞配達を行っていたときは、一時的に精神状態と体調がよくなってきたところなどが挙げられます。
これはあくまでも素人判断ですが。

だからもし、この時代に吉濱ツトムさんのような人がいて、吉濱さんのノウハウがもっと広まっていれば、佐藤さんも、もしかするともっと早くに回復できたのかもしれないなと思わされました。

私も吉濱さんに出会ったのは最近のことであり、そしてまた偶然のことであります。
もしもまだ、私が吉濱さんに出会っていなかったら、私もまだ発達障害に対応することができずに苦しんでいただろうと思います。

なので、苦しむ人が一人でも減るように、日本の精神医学がさらに発展することを心より願います。

また、サブタイトルに『病友諸君、のんびり行こうよ!』とありますが、このように自分の心の病と闘っている姿を見ていると、同じ病友として勇気づけられます。
それは吉濱ツトムさんの『今ひきこもりの君へおくる 踏み出す勇気』(KKベストセラーズ、2019年)の引きこもりの例を見ていても同じことが言えます。

私も自分の障害と闘っていきたいと思います。

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ほろ苦くも、温かなコーヒーの味(神田牧師の解説)

大きな愛のある方

さて、先程この本は一度しか読んでおらず、そしてまた、一番印象に残った箇所が、神田宏大牧師の解説の箇所であると述べました。

この本の本文は読んだのは一度だけでありますが、この神田牧師の解説の箇所は、何度も読みました。
そしてこの解説の表題が「ほろ苦くも、温かなコーヒーの味――カウンセラー側から見た闘病記――」となります。

実は、この本を購入した理由も、最近神田牧師を知ったからであります。
この解説の箇所を読むと、神田牧師は、今どきこんなにも人を愛せる人がいるのだろうかと思えるくらいに、愛のある方であるということが分かります。

カウンセラーの資格をもってはいるものの、カウンセリングにお金を取らないというところからもそうであるといえますし、また、真夜中でも電話に応じてくださるところや、来ることができないときは、牧師自身が相手の家に訪問することがあるというところからも、この方の愛の深さが分かるかと思います。

この方法では体力的にも精神的にもこちらがまいってしまうことすらあると述べていますが、それでもそういったやり方を実践することができるというのは、物凄く愛のある行為であると思いますし、誰にでも真似できるものではないと思います。

神田牧師に興味をもった理由

そして、なぜ、私が神田牧師に興味をもったかといいますと、私も神田牧師に話を聞いて欲しいと思ったからであります。

今、私は信仰をもち始めました。
しかし、信仰をもち始めるに従って、自分の価値観が大きく変わってくるという経験をしています。
信仰をもち始めるに従って、今まで私が「良い」と思っていた生き方が、良くないもののように思えてくるという体験をしている最中であります。

言うなれば、自分が今まで住んでいた家が、実は砂の上に建っていた家であるということに気が付いたので、もう一度基礎工事から始めて家を建て替えるというようなことが、心の中で起こっています。

そうした体験をしているために、今、心の中には不安や孤独感といった感情がたくさんあります。
ほんの少しずつではありますが、そうした感情も和らいできてはいますが、やはりそうした感情が和らいでくるまで、私のそばに寄り添ってくれる方がいると、心強いと思いました。
そしてその役割に適任であると判断した人物が、神田牧師になります。

その根拠はこの解説を読んだからということになります。
この解説を読んで、そのような直感を得ました。

しかしながら、神田牧師は2016年6月21日に、がんのために召天されています。70歳でした。
「人生100年時代」などと言われている昨今においては、物凄く早く感じます。
それでも「がんで余命1ヶ月」と言われてから1年以上元気にしていたそうです。

なので、神田先生のことを知ることはできたけれども、もうこの世で会うことはできないと知ったときは物凄く寂しい気持ちになりました。
ですが、時間が経てばきっとこの寂しさも和らいでくると思いますので、元気を出して生きていこうと思います。

この本には、神田先生がコーヒーを沸かして佐藤さんの家に運んだ様子なども書かれています。
そんな風にコーヒーを飲みながら雑談することができた佐藤さんが大変羨ましく思います。
佐藤さんは心の病で「楽しい」と感じる余裕があったかどうかは分かりませんが、雑談するときっと楽しいだろうなと思わされます。

河内キリシタン

また、色々調べてみたところ、神田先生は「河内キリシタン」の研究をライフワークにされていたみたいであり、数冊それに関する本も出版されているみたいです。
私は歴史に関しては物凄く疎い方でありますが、機会があれば読んでみようかなとも思っています。

一冊『野崎観音の謎』を読み、そのレビューを書きました。
こちらです。
神田宏大『野崎観音の謎』レビュー

そしてまた、YouTubeで、河内キリシタンに関する説明をしている動画を見つけましたので、それも最近よく見ています。
もうこの世では会えないけれども、画面越しに神田先生のお姿と声を観て、聴くことができたことを嬉しく思います。それにいい笑顔をしていると思います。
アップロード者には感謝です。投稿日が2016年2月となっておりますので、本当におなくなりになられる直前であると思います。

最後に

そして最後に、ここまで神田牧師について熱く語ってきましたが、やはりあまり一人の人にこだわるのはあまりよくないかと思います。

神田牧師は中学2年の頃に父親をなくされまして、将来に不安を覚え、それが原因でぐれていた時期があったそうです。
けれども高校1年生の夏休み、夏祭りのときに教会の集会がテントの中で行われていて、それに救われたことがきっかけでクリスチャンとなり、牧師となられたそうです。

そしてそれからは、「神様が、私の魂の親として守り導いてくださることを体験しました」ということを、教会のホームページのどこかに書いてあるのを見ました。
なので私も、それにならってではないですが、まず初めに神様をもとめて、いつまでも神様のところへ、イエス様のところへとどまっています。

佐藤宏明『躁鬱病 私の記録』(柘植書房、1988年)

関連記事:講演(小林義孝さん)『飯盛城と河内キリシタン』感想【神田宏大牧師】

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