こちらは先日書いた、「私がうつから回復するまでの過程①」の続きの記事となります。
前回は私がうつになり、無気力に苦しんだ過程、そして気力の出し方を一つ紹介しました。
今回はその続きを書いていきたいと思います。
前回は、私が無気力になった原因も分かってきたような気がするというところまで書きました。
今回は、その続きから書いていきたいと思います。
私のうつの原因
納得のできないことを続けていたこと
私は今はあまり自分の身の回りのことを書くことに対して抵抗感を覚えるため、表現が抽象的になってしまいますが、私が無気力になった原因は、おそらく私はそれなりに長い間やりたくない、納得のできないことを続けていたからであると思います。
最初の方はなんとか早いうちにその納得のできないことを辞めようと考えていたのですが、どうしても状況的に辞められそうな状況ではなく、また、思い切って辞める踏ん切りも付かず、そしてまた、穏便に辞めようと色々と手を打ったのですが、それもことごとく成功せず、ずるずると長い間納得のできないことを続けていました。
最近ではその「辞めたい」という気持ちすら麻痺してきながら、ずるずるとその納得のできないことを続けていました。
それが最近になって、全く思いがけない形でそれを辞める機会が与えられました。
なので辞めることにしました。
ただ、その辞める機会が与えられたときに、どっと疲れが出てくると同時に、精神状態が不安定になってきました。
そのときは自分はなぜ、精神状態が不安定になっているのかよく分からず、そしてまた、自分が無気力になっている理由も分からずに、その状況を持て余していました。
なんとか絵は描けるようになってきたものの、以前のように読書をしようとしても、まだ集中できない状態が続いていました。読書をしようとすると、集中できず、何故か自嘲的ともいえるようなおかしな笑い声が口から漏れてくるようになりました。当然、このように文章を書くこともあまり出来ませんでした。
しかし、少しずつ時間が経ってくると共に、自分が今無気力になっている理由は、長い間納得のできない、やりたくないことを続けており、それをすることによって憎しみの感情が堆積しているからであると、体感的に分かってくるようになりました。
憎しみの感情が堆積しているため、私はそれに心が侵食されて物事に対して上手く身が入らない上に、自嘲的な笑いが漏れてくるのだと分かってくるようになりました。
最初、私が無気力になった理由は、発達障害に端を発するものであると思っていました。
確かに、ストレスが溜まることにより身体が発熱し、オーバーヒートを起こしたことは発達障害に端を発するものでしょう。
しかし、それはあくまでもきっかけであり、原因は障害にあったのではなく、精神的なものにあったのであると、今は理解できるようになりました。
私の実践した憎しみの発散法
そこで、私はその堆積した憎しみを発散することにしました。
最初は文章を書くことによって憎しみを発散しようと考えたのですが、どうしても書く気力が出ず、集中できなかったので、身体を動かして発散することにしました。
具体的には、シャドウボクシングをしたり、筋トレをしたりしてです(笑)
カラオケに行って声を出してストレスを発散したい気分でもありましたが、今はコロナに感染するリスクがあるので、先に述べた方法で発散することにしました。
すると、久しぶりに活き活きとした感情に触れることができたような気がします。
私は、今まで読んだ本の影響からか、理性的になることが良いことであり、感情は理性の支配下に置かれなければならないという考えがいつしか身につくようになり、そしてその考えは今も基本的には変わっておりませんが、そのときばかりは感情に心の主権を譲ることにしました。
それくらいしないと、憎しみの感情が取れないような気がしたからです。
そのようにして、自分の活き活きとした感情に触れるという経験をしてから思い返してみると、理性的になるように心がけながら生きているときに自分の目の前に開かれた世界は、とても無味乾燥した世界であると思わされました。
このような無味乾燥した世界から一時的にでも抜け出せるのであれば、感情的に生きるということも悪くないのではないかと思わされました。
そして、理性的に生きるということが絶対的に正しいわけではないのかもしれないとも思わされました。
しかし、私にとっては理性的に生きようとする方が自分に合っている気がしますので、また、理性の世界に回帰していくだろうと思います。
そのようにして、自分の憎しみを発散させた後は、読書をしている間にも、自嘲的な笑いは漏れてこなくなりました。そしてまた、このようにブログの文章も書き始めることができるようになってきました。
やはり、自分が無気力になった理由は、納得のできないことを長期間続けることによって堆積されていった憎しみが、私の行動力を阻害していたという線が強いような気がしました。
理性の世界への回帰
そのようにして、少しずつ自分に出来ることが増えてくるにつれて、私は今度は自分の憎しみの感情を抑圧するようにしました。
抑圧というと、「悪いこと」であるというイメージが自分にもあるのですが、私の経験上、憎しみの感情とあまりにも長い間触れ合っていると、その憎しみの感情が「育って」しまう可能性があります。
憎しみが新たなる憎しみを呼んでしまう可能性があります。
そうなることは、精神衛生上よくないことであると思いますので、ある程度憎しみを発散した後は、その憎しみにいつまでも関わらないようにしようと思いました。
そういった意味合いでも、私は理性の世界に回帰しようと考えています。
もし、自分の中の憎しみを上手く処理し切れておらず、上手く理性の世界に回帰できないと感じた場合には、再び自分の中の憎しみと向き合ってみようと考えています。

うつにならないためには
以上が、私がうつ状態になってから回復してくるまでの過程でした。
この経験からいえることはやはりうつにならないようにするためには、なるべく自分の欲求に正直に生きるのがよいのではないかということです。
人がうつになる理由は色々と異なっているのではないかと思いますが、その中でひとつ言えることは、うつになる原因としては、憎しみの感情が堆積しているということであると個人的には感じました。
そして人によって異なるのは、その人の人生のどの地点のどの体験が憎しみを堆積させるためのきっかけになったかなのではないかと思わされました。
そして憎しみを堆積させることになった原因としましては、一般的にも今回の私のように、自分の納得のできない生き方をやらざるを得ないところにあったのではないかと考えられます。
そういった理由からも、うつにならないためにはなるべく自分の欲求に正直に生きるのがよいのではないかと思います。勿論法に触れない限度内にではありますが。
人は、生きていくためには少なからずやりたくないことをやらざるを得なくなるだろうと思います。その、やりたくないことをやりながらという枠内の中では、わがままを言っても言い過ぎることはないのではないかと思います。
なので、とにかくうつにならないためには、なるべく自分の欲求に正直に生きるのがいいだろうと思います。
うつから回復するためには
そして既にうつになってしまった方は、おそらくその人がうつになった原因は、無意識の中に抑圧されている憎しみにあるからだろうと思われます。
その憎しみを見つけることが、うつを脱するための糸口になるのではないかと考えられます。
しかし、無意識内に抑圧されたものというのは、自分でも見たくないものであるがゆえに、自己分析だけで見つけるのは至難の業であると思います。
したがって、自分で考えてもどうしても原因が分からない場合は、カウンセリングに通うことも一つの手かもしれません。
経済的な理由からカウンセリングに通うことが難しい方は、まずは休んで、自分のこれまでの疲れを落とすことから始めるといいと思います。
経済的な理由から休むこともままならない場合もあるかもしれませんが、しかし、うつになって動けなくなると、これまで通りの生活を送ることは実質不可能になるわけなので、もはや休む以外に選択の余地はなくなるでしょう。
私はあまり国の制度に対する知識はありませんが、とにかくあらゆる制度などを駆使して、休むための時間を捻出した方がいいのではないかと思います。
また、うつ状態になり、生きることに疲れた方のための本として、加藤諦三さんの『心の休ませ方』(PHP文庫、2006年)を薦めておきます。
生きることに疲れたときは、まず休み、そして自分の人生を反省することを提言しておられます。
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最後に
うつとは辛いものです。
身体が動けなくなり、何も出来なくなると、生命の危機すら感じてしまいます。
そしてまた、この世の中が弱肉強食であるということを改めて感じさせられ辛くもなります。
私は弱肉強食という自然の摂理を何とか変えることはできないだろうかと考えることがありますが、私ごときの一個人がいくら考えたところで、自然の摂理を覆せるだけの案は出てこないでしょう。
なので、人がこの摂理の中で生きていくためには、なるべくエネルギー切れを起こさないように生きる必要があり、エネルギー切れを起こさないように生きるためには、なるべく自分の欲求に従って生きる必要があるのではないかと思います。
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