【自己分析の】悪口に対する一つの対処法【材料】

精神

嫌な人に対する色々な対処法

人付き合いをしていると、自分のことを悪く言う者は少なからず出てくるものである。
そして、そういった者に対する最善の対処方法は、その者から逃げるということであると私は考えている。

しかし、すぐには逃げられない場合もある。

また、どの動画だったのかは忘れたが、YouTubeで「ポジティブに解釈したことを表明」すれば、「この人は何を言っても応えない」と相手が判断し、悪口を言ってこなくなるといった内容の動画を観たことがある。
それで丸く収まるのならば、それはそれでいいと思う。

しかし相手が懲りずに不快なことを言い続け、そしてそれに対してポジティブな解釈が追いつかないということもあるかもしれない。
そして我慢できずに怒ってしまうということもあるかもしれない。
遠回しに怒るのならまだしも、我慢できずに直接相手に怒りを表明してしまい、その結果、人間関係がぎくしゃくするかもしれない。

しかし、人の我慢できるキャパシティには限界があるのだから、それも仕方のないことではあると思う。
そしてその「怒る」という手段もまた、自分に不快な言動をしてくる者に対する一つの対処法だといえるであろう。

ここまで様々な、不快な言動をしてくる者に対する対処法を挙げた。
そしてここでさらに、もう一つ追加で対処法を挙げようと思う。
とはいえ、これはほんの気休めにしかならない対処法ではあると思う。
しかし、この方法は悪口があまり気にならなくなるための一助となるのではないだろうか。
そしてその方法とは、「自己分析の材料に使う」ということである。
ここからはなぜ、不快な言動が自己分析の材料になるかに関して解説していこうと思う。 なお、これから書くことは岸田秀の『唯幻論大全』(飛鳥新社)を参考にしている。

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なぜ不快な言動が自己分析の材料になるか

相手は計算をして悪口を言っている

なぜ不快な言動が自己分析の材料になるのか。
その理由は、自分の傷付く悪口とは、抑圧された自分に対する事実だからである。

そして自分に悪口を言ってくる者は、的確に自分の短所を見抜くことが出来、そしてその短所を攻撃すれば、相手を確実に傷付けることに成功すると、意識的ではなくとも、無意識的には計算していると考えられる。
なぜならば、相手が何を言われれば傷つくかを計算して悪口を言わなければ、それは悪口にはならないからであると考えられるからである。

もしも何を言われれば傷つくかを計算せずに悪口を言ったとしても、計算していなければ受け取った当人からは「的外れなこと」として一笑に付される可能性が高くなるであろう。
勿論、悪口のつもりで言ったわけではないが、偶然相手のコンプレックスを刺激してしまうようなことを言い、相手を傷付けてしまうということも、人間関係の中ではあるかもしれない。

また、悪口のつもりで言ったとしても、計算が外れて、相手に「的外れなこと」として一笑に付されることもあるかもしれない。
もしかすると相手が傷ついていない演技をしている可能性もあるかもしれないが。

「傷付く」ことは気にしていることの証拠物件

そして「傷付くことを言われた」ということは、その「傷付くこと」とは無意識の中へと抑圧された自分の見たくない自分に関する事実であるという証拠物件となる。
なぜならば、もしもその「悪口」を「本当に」気にしていないのならば、傷付かないはずだからである。

したがって、傷付くということは、無意識的には気にしているが、意識的には見ないようにし、その事象を無意識の中へと抑圧している証拠となる。
また、以前は気にしていたけれども、それを既に克服しているのであれば、その事象は既に「気にならなくなった」ので、指摘されても傷付くことはないであろうと考えられる。

他者は自己を映す鏡である

そして、悪口が自己分析の材料となる理由がここにある。

私は自己分析という言葉を聞くと、自分で自分についてあれこれ考えることであるというイメージを受け取ってしまう。
自分で自分についてあれこれ考え、そして自分の考えていることを書き出すことによって、より体系的に自分について理解することができるであろう。

しかし、理解できるのは「自分の意識の中にある事象」のみであると考えられる。
自分の無意識の中にある事実に自分の力だけで辿り着くということは、至難のわざであると考えられる。
なぜならば、他人から指摘されて傷付いてしまうような、自分にとって見たくないような事実に自ら目を向けるということは苦痛であるからである。
しかし、他人にとっては「私の見たくないような私に関する事実」から目を逸らさなければならない理由は無いと考えられる。

あるとすれば、自分と他人の無意識に抑圧している「自分に関する事実」が一致しているときであると考えられる。
それは、他人にとっても「見たくない自分の一面」であるため、無意識の中に抑圧している事象が一致しているときは、そもそもその事象を悪口に使うという発想すら思い浮かばないであろう。

話が少し横道に逸れたが、そういった意味合いにおいては、他人とは、自分以上に自分をよく知る者であり、他者とは自己を映す鏡ということができるであろう。

傷付く事象と向き合うことにより自分を知る

したがって、そういった「自分の傷付く事象」というのは「自分の無意識に押し込められている事象」であるため、他人に傷付くことを言われたときは、自分を知るためのチャンスであるということができる。
なぜならば、「自分の無意識に押し込められている事象」を提示してくれているからである。

したがって、もし他者から傷付くことを言われた場合、忘れようとするのではなく、精神的な余裕のある場合はその事象と向き合ってみるのもいいのかもしれない。
そしてその事象と向き合い、なぜ自分はこう言われることによって傷付くのかを考察し、分析していくことによって、より自分を知ることができ、そして次に同じ悪口を言われたときには傷付かなくなるかもしれない

しかしながら、このように文章に書くことは簡単かもしれないが、実際に実践するということは難しいのかもしれない。
なぜなら指摘されれば傷付いてしまうくらいに見たくない事象に対して向き合うということなのだから。

心理治療の方がいい

ここまでは無料で精神分析を行う方法であった。
これは殆どの場合は自分に対して悪意をもっている他者を利用した方法であったため、相手に傷付くことを言われることによって、より精神状態が悪くなる可能性もはらんでいる。
とはいえ、人付き合いをしていると、自分の悪口を言われるタイミングなど、いつも唐突で、そのタイミングを自分で選ぶことなどできないのであるが。

そこで、やはり一番いい方法は心理治療なのではないかと思われる。

心理治療の場合は、悪意をもって自分を傷付けようとする他者とは違って、治療するために自分に関する事実をタイミングを見計らって告げる(がん告知の場合のように、相手にその事実を受け入れるだけの心理的基盤がない場合は告げないのかもしれない)ため、精神的なダメージは最小限に抑えられることが期待できるのではないだろうか。
そこは治療者の腕によりけりなのかもしれないが。

したがって、自分を知るための最善の方法は心理治療であるということができる。
今回記事に記した方法は、あくまでも無料で精神分析をする方法である。

なぜ私は自己分析をするか

私は、縁がないため心理治療を受けたことはないが、一応自己分析をしているつもりである。
つもりであるのは『唯幻論大全』を読むまでは、こういった方法は知らなかったので、私は今まで自己分析しているようで、していなかったのかもしれない。
とにかく自己分析をしているつもりである。

では、なぜ、自己分析をするのか。
それは精神的不調を感じる者が心理治療を行うように、私も「生きにくさ」という精神的不調を感じているからである。

では、生きにくさを克服すれば自己分析をやめるのだろうか。
それは分からない。
なぜならば、そもそも克服できる日が来るかどうかも分からないが、仮に克服できたとしても、新たな悩みが見えてくる可能性があるからである。

岸田秀曰く人間は本能の壊れた生き物であり、どこかしら精神に不安定さを抱えているようである。
その不安定さがある限り、私は自己分析を続けるかもしれないし、もしかするとその必要性を感じなくなってやめる日が来るかもしれない。 それは、進んでみなければ分からないことである。

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関連動画

ここまでは、悪口を自己分析の材料とする方法に関して書きましたが、これはあまり実践的ではないかもしれません。
自己分析をするということはよいことだとは思いますが、こうした方法は、精神的な余裕がなければ、なかなか出来ないかもしれません。
そこで、実践的な方法を示した動画を一つ紹介して終わりたいと思います。

【漫画】悪口や嫌がらせに対する正しい対処法3選【マンガ動画】

妹ちゃんかわいいですね^^

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妖月と申します。こちらのブログでは、主に実体験を元にした、メンタル系の情報発信していきたいと考えております。
趣味で絵を描いています。主にオリジナルメインで描いています。

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